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弁護士になっても食べていけない人がいるのが現状 [エッセイ]

 法務省の改革によって、司法試験の制度がどんどん変わって来ました。

 昔は合格者が受験者の2%にも満たないような過酷な試験で、合格者も500人前後でした。

 それが徐々に合格者を増やすことになり、将来的には3000人にする予定だったようです。

 試験を受けられる人の資格も、単に大学の教養課程を修了した者から、今では法科大学院の課程を修了した人または司法試験予備試験に合格した人となっています。

 法務省のもくろみとすれば、弁護士が増えて、アメリカのように民間人でも、主治医を持つ感覚で弁護士をもてることを制度化したかったのでしょう。

 ところが、日本は何でもかんでも裁判で解決しようという土壌がなく、この段階で法務省は制度の改革性の必要性の判断で重大な分析ミスをおかしていたと言わざるを得ないでしょう。

 需要は増えないのに、弁護士が増えて来た結果、今までは司法修習を終えた新米弁護士は、既存の弁護士事務所に数年間は所属し、学ぶといういわゆる居候弁護士(略して“いそべん”)時代を経験して、独立するのが慣わしのようになっていました。

 ところが、弁護士の余剰化により、いそべんをしたくれも入れない新米弁護士も多くなり、初めから個人事務所を開設する者、雇い先もなく、民間企業に就職して、法務課で勤務する人も増えて来たのです。

 弁護士が増えた結果、弁護士1人あたりが引き受ける仕事も減って来て、既存の弁護士事務所でも食べていくのがやっとというような場合も少なくないようです。

 これが司法試験改革の陰の部分です。

 陽の部分は司法試験合格者が増えたことによってなり手が少なかった検察官になりたい者が増えて来たことが上げられるでしょう。

 しかし、量さえ増えればいいというものではありません。

 それまで司法試験に受かるだけの素養のなかったものが容易に司法試験に受かるようになって、質的に低下してしまったという声もよく耳にします。

 法律を扱うものは、法律的なセンスを磨くことが必要です(よく“リーガル・マインド”という言葉で表現されます)。この法律とは何なのか,憲法とは何なのかという基本的な原理すら身につけずに、司法試験に合格する者が増えて来たことから、法律的素養や常識のない、頭でっかちなだけの人間が法律家として、世間とは乖離している事実を見逃すことはできないでしょう。

 現場をしらない法務省の役人が司法試験改革をして来たことに大きな問題点があるということなのでしょう。

 これからは、安倍総理大臣がもくろむ、憲法改悪がもし行われるようになれば、法律家の果たす役割はますます重要になって来るはずです。
 ただ単に要領がいいだけで司法試験に受かって、その地位にあぐらをかいているような法律家はできるだけ排除できるような、根本的な司法試験改革を改めて模索する時期に来ていると思います。
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